興福寺南円堂の裏手、三重塔との間に摩利支天石という大きな石が佇みます。
摩利支天石の石碑。向こう側に見えるのが興福寺南円堂です。
大きな石を見ると、霊気みなぎるパワースポットを思い浮かべてしまいますよね(笑)
実はこの石、奈良発祥の武道である宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の流祖である興福寺の僧の守り本尊とのこと・・・。
摩利支天石と興福寺三重塔。
南都興福寺の僧が、宝蔵院流槍術の始祖だったわけですね。
猿沢池に浮かぶ三日月を突き、十文字鎌槍を創始したと伝えられます。
これがその十文字鎌槍。
「突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」と言い伝えられます。
戦いの神である摩利支天を祀っています。
京都に摩利支尊天堂というお社がありますが、興福寺の摩利支天石と同じように、勝利を祈願する摩利支天が祀られています。
石碑には「宝蔵院胤栄守り本尊」と書かれていますね。
どうやら流祖のフルネームが、宝蔵院覚禅房法印胤栄(ほうぞういん かくぜんぼうほういん いんえい)と言うようです。
石碑の裏側。
菩提町石崎邸庭園よりこの場所に移ってきたようですね。
摩利支天は陽炎が神格化された女神。
神出鬼没の陽炎にあやかって、姿をくらましながら暗躍する兵士たちの姿が重なります。
猿沢池に浮かぶ三日月を突いた・・・。
そこから柳生新陰流剣術と並び称される、奈良発祥の武道である宝蔵院流槍術が生まれました。
う~ん、奈良の歴史はやっぱり深いですね。
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