伊邪那岐神と菅原道真を主祭神とするお社。
山の辺の道の正規ルートから少し西に外れた場所に、伊射奈岐神社と大和天神山古墳があります。
伊射奈岐神社の拝殿。
場所をご案内する際には、国道169号線沿いの崇神天皇陵前と言った方が早いかもしれません。御陵餅本舗の南側に、こんもりとした緑の杜が見えていますが、ちょうどそこが伊射奈岐神社の境内です。
黒塚古墳も近くにあって、古代史ファンなら一度は足を踏み入れたことのある聖地なのかもしれません。拝殿向かって左側には織田氏ゆかりの建勲神社も祀られています。
伊射奈岐神社境内の建勲神社。
先日、京都大徳寺近くの建勲神社にもお参りして来ました。山裾から山頂までわずか5分ほどの船岡山の頂に、織田信長を祀る建勲神社が鎮座しています。五山の送り火の際には、「左大文字」の送り火が間近に見られる観賞スポットとしても知られます。
伊射奈岐神社は崇神天皇の御代に創建されているそうですが、立証するものは残されておらず定かではありません。その後、1641年に二代目柳本藩主・織田長種がこの地へ遷し、本殿を造営したと伝えられます。
境内に建勲神社が祀られていることからも、織田氏の流れをくむ神社とも言えるのではないでしょうか。
伊射奈岐神社のスライドショー動画。
国道沿いに「専行院」を案内する青い看板が見えてきます。ちょうど真っ二つにされた大和天神山古墳の手前ですが、そこを左に曲がって進みます。振り返れば、神の山と仰がれる三輪山を望む長閑なエリアです。
境内西側の鳥居外には「天神橋」という名前の小さな橋が架けられています。
かつては楊本(やなぎもと)天神・楊本天満宮と称し、現境内地から南東方向の山田垣内にあったと伝えられます。
古来、大和国には「柳」の付く地名が数多く残されています。
奈良時代に施行された条里制により、各地の水路や池沼の堤に柳が植えられました。水質にも強く枯れることの少ない柳は重宝され、大和の国の景観を形作っていきました。楊本(やなぎもと)の楊には、「揚がる」の意味も込められ、縁起が担がれたのかもしれませんね。
伊射奈岐神社近くの天神橋。
この神社は日本武尊が東国征伐に際し、戦勝祈願をしたことでも知られます。伊勢へ出立する前に、ヤマトタケルノミコトがこの場所で祈りを捧げた。想像するだけでも、どこか荘厳な雰囲気に包まれます。
日本武尊に東国征伐を命じたのは父の景行天皇です。
その景行天皇の御陵は、伊射奈岐神社のすぐ南東方向にあります。息子でありながらも、武勇に優れた日本武尊を警戒していたと伝えられる景行天皇。ここ伊射奈岐神社は、父と子の微妙な心情の揺れをも感じさせる歴史スポットです。
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