山の辺の道を散策中、桧原神社の鳥居西側にある休憩処で一服することに致しました。
店内に入ると、藤原鎌足の正妻として知られる鏡王女の万葉歌が掲げられていました。山の辺の道沿いにはたくさんの万葉歌碑が建っていますが、店内の壁に掛けられている鏡王女の万葉歌碑は、忍坂街道にある舒明天皇陵の近くにあります。
鏡王女の万葉歌碑。
- 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者
- 秋山の 木の下隠り 行く水の 我れこそ益さめ 御思ひよりは
- あきやまの このしたがくり ゆくみづの われこそまさめ みおもひよりは
万葉歌の最後に「孝書」と書かれているのは、万葉学者の犬養孝先生のことでしょうか。飛鳥の岡寺、石舞台古墳の近くに犬養万葉記念館があることでも知られる万葉学の大家です。その先生による揮毫なのでしょうか。
鎌足の正妻になる前は、天智天皇の妃でもあった鏡女王。
天智天皇の父親が舒明天皇であることを思うと、万葉歌碑の建立された場所にも納得がいきますよね。
この歌に込めた作者の心情は、「我れこそ益(ま)さめ」という言葉に集約されます。われこそまさめとは、私の方こそ勝っているのよという意味になります。あなたへの強い想いは、私の方こそ勝っているのよ、と。
桧原神社の休憩処。
「春夏冬中」のお札が掛かっていますね。
春夏冬中とは、つまり「秋が無い」を意味し、「商い中」を暗示します。なるほど!と思わせる漢字遊びなのですが、商いの語源は「秋に行う」ことに由来していることを考えると、なんだか禅問答のようで頭の中が混乱してしまいます(笑)
さらに歌の解釈の続きですが、木の下隠り(このしたがくり)という言葉にも注目してみたいと思います。
古語の世界では、木陰のことを木の下陰(このしたかげ)と表現します。木の下露(このしたつゆ)などという言葉もあり、どこか奥ゆかしい風情を感じさせます。秋山ので始まる歌ですから、紅葉や落葉の情景が目に浮かびます。木の下に隠れて見えない水の流れに、自身の想いを重ねます。あなたへの私の強い想いは表には出ないけれども、水の流れのようにひたひたと続いているのです。そんな風に解釈できるのではないでしょうか。
七五三の案内看板の向こう側に、大神神社の大鳥居を望みます。
桧原神社は大神神社の摂社の一つに数えられます。
桧原神社の休憩処でソフトクリームを注文してみました。
抹茶、バニラ、栗の中から栗のソフトを注文したのですが、残念ながら在庫が切れていたためバニラのソフトを購入することになりました。
男女の仲を行き交う想いは、古代も現代も変わらぬものがあります。
自分の想いの方が相手よりも強いのではないか?いや、そうに決まっている。どこかやるせない恋慕に打ちひしがれる鏡王女の姿が浮かび上がります。私と同じぐらいに想ってくれているのだろうか、そんな不安を抱くのは今も昔も変わらないようですね。
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