今年も執り行われた春の大神祭(おおみわさい)。
3日間催される祭典の中日に当たる4月9日、若宮神幸祭を見学するために大神神社へ向かいました。二の鳥居前に到着すると、例年通り数頭の神馬が待機していました。昨年は二の鳥居前でお神輿が来るのを待っていたのですが、今回は時間があったので拝殿まで上がってみることに致しました。
拝殿向かって右側に置かれた分霊神輿。
おだまき杉で知られる若宮さん(大直禰子神社)の分霊が遷されたお神輿です。大神神社の拝殿で分霊みこしを拝見するのは今回が初体験でした。さすがに辺りには厳かな空気が漂います。
一連の行事が終了して、分霊神輿がいよいよ三輪の町へ繰り出します。
拝殿前の注連縄をくぐり、手水舎へ続く石段を下ります。お神輿の頂が木の枝に引っ掛かるようですね。大神神社の初代神官と伝えられる大直禰子の御魂がご遷座されている神輿です。くれぐれも丁重に取り扱わなければなりません。
若宮神幸祭の神馬。
大神神社の三本杉の御神紋が見えます。
分霊神輿を中心とした時代行列が約4㎞の距離を練り歩きます。三輪のお渡りは、道中の三輪坐恵比須神社で休憩を挟みながら一の鳥居などを経るルートを辿ります。恵比須神社の宮司さんにお伺いしたのですが、恵比須神社境内で休憩する際には、隣りの三輪公園で神馬が休むことになります。
そのせいでしょうか。当日の夕刻過ぎに三輪公園へ行ってみると、馬の匂いがあちらこちらに残っていました(笑)
拝殿前には猿田彦(さるたひこ)らしき天狗の姿も見られます。
サルタヒコはお渡り行列の道先案内人として知られる神様ですよね。式年遷宮を迎えた伊勢神宮の近くにも猿田彦神社が鎮座していますが、神話の世界ではとても重要な役割を果たす神様です。
整列する巫女さんと雅楽の演奏風景。
拝殿前は黒山の人だかりだったのですが、巳の神杉の脇から若宮神幸祭の進行状況を垣間見ることができました。
神饌が並べられていますね。
宴会の起源である直会(なおらい)は、祭事終了後の神饌を参列者が一堂に会して頂くことに端を発すると言いますが、これらの神饌も、祭典後に祭事に関わった人たちの口に運ばれるのでしょうか。
これは矛でしょうか。
時代衣装を着た氏子や稚児、神職らが拝殿前から三輪の町へ出発致します。報道関係のカメラマンの方々も、手水舎前でシャッターチャンスを狙います。
弓のようですね。
次から次へと時代行列のパフォーマーたちが目の前を通り過ぎて行きます。
先程の巫女さんたちでしょうか。
三輪の初えびすでは、神に使える巫女の神髄を拝見させて頂きました。邪馬台国の女王・卑弥呼もシャーマンだったと伝えられます。そういう意味では、三輪山周辺地域は巫女の原点とも言える場所だと言えるのではないでしょうか。
太鼓も石段を下りて行きます。
手水舎、夫婦岩、祓戸神社の前を通って参道を進み、二の鳥居をくぐり抜けて三輪の町へと繰り出します。
何やら木の籠のようなものも下りて行きます。
それぞれに意味があるのでしょうが、勉強不足のために詳細は不明です。何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ツイッターなどのソーシャルメディアを通じてお知らせ頂ければ幸いです。
真打ちの分霊神輿です。
大直禰子を通じて三輪の地に祀られた大物主神。
謎に満ちた大直禰子という存在を大人になってから知ることになるのですが、未だに私の頭の中では解き明かされていません。それだけに若宮神幸祭には意義深いものが感じられます。
分霊神輿も同じく、巳の手水舎の前を通り過ぎます。
お神輿と言えばワッショイの掛け声が知られますが、昨今ではソイヤ、ソイヤ!という威勢の良い声もよく聞かれます。そもそもソイヤという掛け声は、ワッショイの倒語であるショイワッが転訛して生まれた言葉なんです。
若宮神幸祭のお神輿に掛け声は聞かれませんが、おみこしにまつわるトリビアとしてご案内しておきます。
こちらも何やら意味深ですね。
中はどうなっているのでしょうか。
神職も神馬にまたがって、いよいよお渡り行列の始まりです。
空き時間を利用しての若宮神幸祭見学だったため、三輪の町に繰り出す時代行列を最後まで見届けることはできませんでした。来年こそはと思うのですが、なかなか実現できない状況が続いています。
しかしながら、今年は大神神社拝殿の様子を見学できただけでも良かったと思っています。
<若宮神幸祭の関連情報>
お問合わせ窓口 ; TEL 0744-42-6003