葛城市忍海に鎮座する角刺神社。
近鉄御所線忍海駅を降りて川に架けられた橋を渡り、駅の西側に出ます。駐在所の角を曲がって進むと、角刺神社の境内が見えて参ります。
角刺神社は飯豊天皇の執政地・角刺宮跡に当たります。
古代豪族の葛城市の本拠地でもあり、歴史にその名を刻む名所です。
この角刺(つのさし)という名前ですが、実は「葛城」と同義語ではないかと思われます。角刺の角はカド・ツルで「葛」に通じ、刺はサシ(城)を意味しています。
角刺神社境内横の鏡池。
当麻寺の中将姫が曼荼羅を織るために、この池から蓮糸を採取したと伝えられます。
飯豊天皇が朝政を執った角刺宮。
日本書紀には、「 倭辺(やまとべ)に 見が欲しものは 忍海(おしぬみ)の この高城(たかき)なる 角刺宮 」と記されています。立派な建物が建っていたことが脳裏に浮かびます。
古語辞典を紐解くと、城(さし)は古代朝鮮語で城のことを意味しています。
漢字だけを見れば、何やら刺々しさを感じさせる角刺神社ですが、その意味するところは「葛城」そのものなのかもしれません。
東の大和政権に西の葛城王朝。
東の三輪山に西の二上山、東の山の辺の道に西の葛城古道。とかく比較されがちな東西の古代観光エリアではありますが、今の忍海駅近くには「高城なる角刺宮」があったことを再確認しておきましょう。
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