三輪山の西に位置する桜井市立埋蔵文化財センター。
安倍氏にまつわる特別展開催期間中の館内に入ると、何やらおどろおどろしい人骨が展示されていました。
大福遺跡の人骨。
死者の手足を折り曲げて埋葬する屈葬の方法が取られています。伸展葬の反対の埋葬方法として知られますが、なぜ昔の人は屈葬という埋葬法を選んだのでしょうか。
玄関入って左の入館受付で、特別展の入館料300円を支払い、パンフレットと半券チケットを頂きます。すぐ右手に展示収蔵室が広がっていました。
一番手前の長方形の展示ケースの中に、大福遺跡の人骨が展示されています。
入館受付左手の事務室の裏側には、作業室、整理室、木器処理室、金属製品処理室など、埋蔵文化財センターならではの考古学関連の設備が整っています。
松ヶ下地区の土壙墓(弥生時代中期)と書かれています。
土壙墓って何?
辞書で調べてみたところ、どうやら土壙墓(どこうぼ)は土坑墓とも書くようです。館内を順路に従って進んで行くと、より分かりやすく解説されていました。
土壙墓とは、要するにこういう状態のことを言うようです。
平たく言えば、穴を掘って埋めただけのお墓です。縄文時代から弥生時代にかけて見られる埋葬方法として知られます。小さい頃に飼っていた金魚やカブトムシの埋葬方法と何ら変わりがありません。
腕が極端に折り曲げられています。
大福遺跡の人骨は仰向けで足を曲げ、急な角度で腕を折り曲げられた仰臥屈葬の埋葬法です。横っ腹を下にした横臥屈葬や、上体を立てて足を曲げた座位屈葬もありますが、この人骨は仰向けに寝かされています。
屈葬の理由には様々な説がありますが、その中の一つに胎児の姿を真似、再生を祈るために屈葬にされたという説があります。
母なる大地と言うぐらいですから、土の中に還す時に、母胎のイメージと重なるのは自然な成り行きなのでしょうか。丸まった胎児の姿にはパワーが秘められているとも言われます。そう言えば、丸まった形の穀類や貝類などはパワーフードとも呼ばれます。
しかしながら、よく考えてみると、医学の発達していない時代に、赤ちゃんが母体の中で丸くくるまっている姿を誰が想像できるのでしょうか?あるいは生前の記憶なのでしょうか。命のつながりの不思議を感じます。
屈葬の理由を合理的に解釈すれば、単に墓穴を掘る労力の節約とも考えられます。三輪山周辺のこの辺りは古代ロマンを語る場所です。労力の節約といった合理的な解釈では、あまりにもロマンがありません(笑)
屈葬は死者に休息の姿勢を取らせたのでしょうか。
あるいは死を忌み嫌い、死者の霊が生きている人に禍を及ぼすのを防ぐためだったのでしょうか。この考え方もどこか現実的ですね。出来ればそうであってほしくない、そんな感想を抱きます。
生と死のサイクルは現代人の想像も及ばないぐらいに早かったものと推測されます。古代人たちにとっては、身近に死があり、生命の尊さを敏感に感じていたものと思われます。
桜井市立埋蔵文化財センター。
答えの無い問いがたくさんあるから考古学は面白い。そんなふうにも思えます。
卑弥呼の邪馬台国論争も、畿内説と九州説が入り混じりながら、半永久的にあぁでもないこうでもないと言っているのが面白いのかもしれません。「屈葬の本当の理由を知る人はいない」、これが本当の正解なのかもしれませんね。
お問合わせ窓口 ; TEL 0744-42-6003