奈良の若草山山頂にある古墳、それが鶯塚古墳です。
車で若草山山頂までアクセスし、駐車場に車を停めて鶯塚古墳へ向かいます。途中で奈良の鹿がどこからともなく出て参りました。標高300m以上のこんな場所でも、奈良公園の鹿に出会えるとは思ってもみませんでした。
鶯塚古墳。
清少納言の枕草子にも、「うぐいすのみささぎ」とあり、古くから著名な塚として知られていました。標高342mの若草山山頂展望台のすぐ近くにあり、若草山と高円山を結ぶ新若草山ドライブウェイを登って行った所に佇みます。
若草山三重目。
望遠カメラも備えられていて、東大寺や興福寺、平城宮跡などの観光名所を一望することができます。若草山は手前から一重目、二重目、三重目と山が3つ連なった格好をしています。一重目から三重目へ行くに従って標高が高くなっています。小学校の遠足などで登る若草山は、一重目の山腹までということになります。
鶯塚古墳は前方後円墳で、二段築成の墳丘を持ちます。
墳丘の上には円筒埴輪列が並び、葺石で覆われています。冒頭の「鶯陵」の石碑は、前方後円墳の後円部に建てられています。
何やら不思議な石組みも見られます。
鶯塚のあるこの辺りの住所は、どうやら春日野町のようです。吉永小百合さんの歌にある「奈良の春日野の」の春日野ですね。住所から言っても、鹿に縁のある場所のようですね。
訪れたのは、暮れも押し迫った12月中旬。
秋の名残でしょうか、山頂にはすすきが見られました。
眼下に奈良市街を見下ろす絶景です。
鶯塚古墳は、江戸時代初期の東大寺寺中寺外惣絵図には「牛墓」(大人墓)と図示されています。「山のいただきより少うしろに牛がつかと云有」と奈良曝にも記されています。
古語における大人(うし)とは、貴人や富者を意味する尊敬語です。
動物の牛ではなく、大人(うし)を意味しているものと思われます。
まさか古墳の上に居るとは、奈良の鹿も思っていないでしょうね(笑)
こんなに景色の開けた場所にお墓を造ってもらって、さぞかし被葬者も幸せな思いをされているのではないでしょうか。絶景スポットに古墳がある。さすがに奈良は奥が深いです。
昭和28年に墳丘から出土した内行花文鏡や墳丘の形状から判断して、鶯塚古墳は5世紀代の築造と推定されています。
東大寺の大仏や興福寺の阿修羅像が誕生する以前から、この場所にとある貴人が葬られていた。そう思うと、歴史のダイナミズムを感じずにはいられません。
お問合わせ窓口 ; TEL 0744-42-6003